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エッセイ

ワイワイたすけ合い 「6.難儀するのも心から」その2

6.難儀するのも心から
 
 自殺・自傷の心の痛みに誠の心を

 

リストカットが舐(な)めて治るなら

 私が勝手に娘のように心配していたBさんが、リストカットをしました。傷を見た時は、腹が立つやら、可哀想やら自分の無力さを思い知らされるやら、酸っぱいような気持ちでした。親猫が子猫の傷を舐めて治すように、「治るものなら舐めてあげたい、教祖なら舐められるかも」と思いましたが、「私では、『変な人』と思われるだろう」と思い留まりました。そこでおたおたと、おさづけを取り次がせて頂いたところ痛がられ「ごめん」、リストカットの本を探し理解しようとすれば、相手はすでに全部読んでおり「およびでない」という有様でした。結局、「リストカットは生きるためのコーピング(対処)」(②)という言葉は知りながらも、「やっぱり切らないで」とカッターナイフを取り上げてみたり、「どうしても切らなきゃいけないなら、人から怪しまれないよう見えないところにしよう」とか、自分の素(す)丸出しの格好悪い対応でした。

 Bさんも、心根の優しい、親思いの人で、リストカットをしている友人の気持ちを理解するために、自分もしてみたのがきっかけで、自傷にはまり、そのうちストレスが溜まった時に、自傷をすると落ち着くようになったそうです。さらに「カッターナイフを持っていると、いざ気持ちがどうしようもなくなった時、いつでもカットができると思うから落ち着く」と、カッターナイフがお守りのように言い、私がカッターを取り上げようとすると、「持ってないと不安になる」と泣きそうな顔になりました。また、ご家族に相談しようとすると「親に心配かけたくないから、親に言ったら飛び降りる」と言って困らせました。結局、Bさんは修養科に行くことになり、所属の教会長さんが、懸命のお世話取りをして下さり、ご家族にもご協力頂くことになりました。

 自傷は、自殺未遂とは違うそうですが(②)、自殺も自傷も心の痛みが原因で、心の痛みは、一人ひとり違うので、対策マニュアルというのはなく、強いて言えば、格好悪くても、誠の心で当たるしかないのではないかと私は思います。

 

「生きるのが辛い時」の自己肯定

 リストカットは、思春期から20代の女性に多いそうです(②)。私は40歳を越えて、だいぶ図太くなった今でも「生きるのが辛い時」がよくあります。まして思春期、青春期は辛いことも多いだろうと思います。思春期は「サナギの時代」(③)と言うそうで、「見た目は殻に包まれていて分かりにくいが、中では蝶(大人)への大変化を起こしている」時期だそうです。この時期は、「理想の自己像」と「現実の自分」の狭間で、自尊感情が損なわれたり、なりたい自分になれそうもない不安や葛藤、絶望感も強く感じる時だからです。

「生きるのが辛い時」に先ず必要なのは、「自己肯定」だと私は思います。夜回り先生の水谷氏も『こどもたちへ』という本の中で次のように言われます。「過去になにがあってもいい。どんな失敗をおかしても、どれだけひどい目にあったとしてもいい。まずは自分をしっかり抱きしめ、自分を許してあげてください。…もういちど赤ん坊に戻って、いちからやり直してみましょう。」(④)と。

 そしてできれば、理想の自己像は、「をやの望まれる成人」に、幸福感は「陽気世界の建設のようぼくたらんこと」に、期限は「末代かけて」に設定できれば、楽に生きられるし、「辛いこと」も結局は、自分を磨く砥石と思えるようになると思います。

 

我が身かわいい心から人を助ける心へ

 水谷氏は「自分にこだわるのはやめましょう。『死にたい』『夢を失った』『もう私なんてダメだ』そう思うのは、自分のことしか考えていない証拠です。過去を引きずって、今の自分が許せなくて、どうせダメだと思い込んでいます。まわりを気づかう余裕がないんです。それを私は〝自分病〟と呼んでいます。」(④)と言われます。

「我が身かわいい心」を「人を助ける心」に切り替えることが自分も助かる道のようです。水谷氏は「つらい時、哀しい時は人のために何かしてみましょう。まわりに優しさをくばってみましょう。みんなの笑顔が、あなたの哀しい心を癒してくれます。人のために生きることが、これからの自分のためになります。『ありがとう』と言われることが、あなたの生きる力です」(④)と言われます。

 たとえ、自分のためには動く力が残っていなくても、人のためには動ける時があります。また、喧嘩の後とかに、喋る気もなく、笑顔を作る気力さえ失っても、例えば黙々と靴なら磨ける時があります。靴の持ち主に「ごめんね。愛しているよ」と言うかわりに。たとえ、長いこと、相手に気づいて貰えないとしても、見返りを期待しない、そんな愛し方もあるし、愛することこそが、生きる力になるのだと気づきました。

 

身上事情は道の花 心の痛みに誠の心を

「難儀さそう不自由さそうという親は無い。」と言います。辛い痛みからは優しさが生まれます。身近な人の死を体験すると、今まで分からなかったことが分かってきます。

 でも、あまり辛すぎるとつぶれてしまいます。つぶれるギリギリのストレス、自分で望んで課したストレス、喜んで通るストレス、人のためにするストレスによって、一段一段階段を上るように成人していけるのが本当の幸せな人生かもしれません。

「通っただけが道」とも言います。いくら本で知っていても、実際体験して、自分の汗と涙を流し、血の滲むような思いで、乗り越え掴(つか)んだものだけが、自分の身に付く、「火にも焼けない水にも流されない財産」となるのです。つぶれそうなストレスに、「自分だけがこんなに苦しいのだから、幸せボケした他の人にも同じ苦しみを、自分が生きていくためには誰かを犠牲にしてでも」と開き直ると、悪人になってしまいます。

「自分のように苦しんでいる人が、他にもきっといる。その人が泣かないで笑えるように、自分のような苦しみをなくそう」と思えば、善人になります。身上事情は道の花、心の痛みには、精一杯の誠の心で当たりましょう!

 

【参考文献】①古市俊郎「人生相談『不安定な友人にかかわるのが負担』」天理時報(立教168年5月29日号)

【参考文献】②小国綾子「魂の声 リストカットの少女たちー私も『リスカ』だった」講談社(2005)

【参考文献】③古市俊郎「学生担当勉強会『思春期との向き合い方』」天理時報 立教170年3月11日号

【参考文献】④水谷修「こどもたちへ 夜回り先生からのメッセージ」サンクチュアリ出版(2005)

 

(草場直子 2008年3月発行『ウィズ・ユゥ』vol.19 より)

ワイワイたすけ合い「7.をびやほうその許しは親心のたまもの」へつづく

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