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エッセイ

それぞれの風景 「たすける人は誰?」

お母さんは、僕が守る
 私は、時々、ある5歳のわんぱく坊やに元気をもらう。その子は祖母、両親に連れられて教会へ参拝に来る。わんぱく坊や、優しい両親、いつも笑顔のおばあちゃん。どこででも見る家族である。しかし、その子にとって、他の家族と違うところがある。両親の耳が聴こえないのである。父親はまだ微(かす)かに聴き取れるが、母親はまったく聴こえない。
 私の教会では、夕づとめの終わりに、参拝者全員で『天理教教典』(以後、教典)を拝読する。そのわんぱく坊やは、おつとめ中はじっとしていられずに、あちこち歩き回る。だが教典の拝読が始まると、母親の隣にピタッと座る。そして周囲の声に合わせて、母親が開く教典の1行1行を指でなぞり始める。その指の動きに合わせて、母親も拝読する。周りの声が聴こえないから、その子の助けがなければ、皆に合わせて拝読することができないのである。
 他にも、母親が誰かと話をしていて、相手の言っていることがわからず困っている時は、その子が遊びを放り出して飛んで来る。そして手話で母親の通訳をする。
 必死に、教典の文字を追う時や手話をする時の、その真剣な目は「お母さんは、僕が守る」と言わんばかりで、とてもたくましい。けれど母親から「ありがとう」と頭を撫(な)でられると、そこは5歳の子供。満面の笑顔で無邪気に喜ぶ。5歳だが親を助けている。いや、5歳の子供でも、人を助けることができる。その姿が私を元気にするのである。
トイレのスリッパ
 その家族の入信は、わんぱく坊やの祖母であるMさんからである。20数年前、難聴の娘を抱え、家庭事情にも悩んでいたMさんは、体調を崩し入院した。「頂いたお菓子だけど食べませんか?」。向かいのベッドの婦人から声を掛けられた。その婦人は、私の母だった。白血病で入院していたのである。
 やがて2人は親しくなった。Mさんは悩みごとを相談するようになり、障子紙(しょうじがみ)が水を吸い込むように神様の話を聞いた。母より先に退院したMさんは、修養科に入り、この道を歩み始めた。
 母はそれから数年後、再び入院した。その頃、病院で交(か)わした母との会話で、私にとって忘れられない思い出がある。
 ある時、ベッドに横たわる母が私に「寂しいわ」とつぶやいたことがある。その頃、身体が衰弱(すいじゃく)し、ウイルスへの抵抗力が落ちてきたため、病室が無菌室になり、廊下に出ることも禁止された。何より、トイレに行くことを止められたことがショックだったらしい。なぜなら、トイレのスリッパを揃えることが母の楽しみだったからである。
「いろんな人にお世話になりながら、自分はベッドで寝ているだけで、何のお返しもできない。でもトイレの散らかっているスリッパを揃える時は、『こんな私にでも、人様のお役に立つことができる。ひのきしんができる』って、うれしかった。でも、もう、そのトイレにも行けなくなった。寂しいわ」と言っていた。母が出直す1ヵ月前の出来事である。私は、時々、その母の言葉を思い出す。そして教祖の「人を救けなされや。」という言葉が浮かんでくる。
誰にでもできる
 一般に、人を助けるには、助ける側にそれだけの力や余裕が必要だとも言えるだろう。しかし、教祖は、病に苦しんでたすけを願う人にも「人をたすけること」を求められた。それは年齢、性別、体力、どんな仕事をしているか、住む環境や境遇も一切関係なく、等しく、誰にでも「人をたすけること」を願っておられるとも思える。そこには、たすける人、たすけられる人の区別はない。たすけられた人も、今度は誰かをたすける。誰しもが「たすける人」であるということである。
 5歳の男の子が、親の耳の代わりをするのは、それがその子の喜びであるに違いない。また、私の母は病人ではあったが、ひのきしんの喜びを味わっていたのだと思う。
 歳は若くとも、力はなくとも、たとえ病気を抱える人でも、人のために何かはできる。ベッドに臥(ふ)せっていても、言葉で相手に元気を与えられる。話ができなければ、じっくりと時間をかけて悩みを聞くことはできる。そして相手のたすかりを願って神様に祈ることも、誰にでもできる。人のために尽(つ)くす喜びは、誰にでも味わえる。
「人を救けなされや。」
 親だからこその、子供可愛い一杯のお言葉だと思う。それは、たすけ合う子供の姿に目を細める親のまなざしであり、そのまなざしは、いつも私たちに注がれているのである。

(加藤元一郎 『ウィズ・ユゥ』vol.28より)

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