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エッセイ

それぞれの風景 「やさしい心」

 私は5人兄弟だが、子供の頃、兄弟の誰かが風邪をひいて寝込んだ時は、「今日は遊べない」と諦めたものだ。それは父の雷を受けてからだった。
 遊び盛りの頃、弟が高熱を出して寝込んだことがある。それでも私たちは廊下を走り回って遊んでいた。「うるさくしたら怒られるかな」と頭をかすめはしたが、楽しさには勝てず、遊び続けていた。案の定、父の大目玉を食らうことになった。
 しかし、叱られた言葉は「うるさい」でもなければ、「遊ぶなら外で遊びなさい」でもなかった。「秀樹(弟)のそばにいてあげなさい」であった。叱られてシュンとなった私たちは、終日、弟が休む部屋で、何をするでもなく、寝転んでマンガを読んだりおしゃべりしたり、末の妹はいつの間にか弟の布団の端を枕にして眠っていた。しばらくして父が来て、私たちに言った。
「お父ちゃんは、昔、長く病気で寝ていたことがあってな。その時、1人でいる時間がとても寂しく感じた。病人さんというものは、家族が時々顔を出しても、隣の部屋に誰かがいたとしても、それでも寂しいもの。家族の誰かが、何も用事がなくても、そばにいてくれているだけで嬉しいものなんだ。だから、兄弟の誰かが寝込んでいたら『今頃、寂しい思いをしているだろうなあ』と思ってそばにいてあげなさい。それがやさしさだ」。
 何となくショックだった。弟が高熱でどれだけ苦しいのか、元気に遊ぶ兄弟たちを羨ましいと感じていたのか、私は想像しなかった。そんな自分が無性に恥ずかしかったことを覚えている。
 時折、その光景を思い出しては、やさしさとは何だろうかと考える。
 教祖は「やさしい心になりなされや。」と仰せられた。だが、やさしい人になるのは、そんなに難しいことだろうか。それより不屈の精神や勇敢な態度ということの方が難しいのでは、などと思ったりもした。
 教祖のひながたは貧に落ち切られることから始まった。「貧に落ち切れ。貧に落ち切らねば、難儀なる者の味が分からん。」と、貧しい者への施しにその家財を傾けて、赤貧のどん底へ落ち切る道を急がれた。高熱に苦しむ弟の気持ちを察することができなかった自分を振り返ると、ふと、このひながたを通し、たすけ心には「人の苦労の味を分かること」がいかに大切かをお教え下さっているようにも思えてきたのである。
 だが困っている人を見て「かわいそうだな」と心に浮かんでも、皆が皆、その人に手を差し伸べるわけでもない。やさしさがたすけの姿に変わるには、もう1つ大事なことがあるように思える。
 教祖は、雪の日にお屋敷へ帰った人に、「あちらにてもこちらにても滑って、難儀やったなあ。」と仰せられて、その人の冷え切った手を、両方のお手でしっかりとお握り下された。それは、ちょうど火鉢の上に手をあてたような、何んとも言い表しようのない温かみを感じたという。
 私も、寒い中、教会へ来てくれた老婦人のかじかんだ手を握って温めてあげたことがある。しばらくして相手の手は温まったが、自分の手が少し冷たくなっていることに気付いた。相手の冷えを自分の手で引き受け、自分の体温が相手の手に伝わったのである。手の冷たさを、悩み苦しむ人のつらさと考えたらどうだろう。教祖の手も、こうして少し冷たくなられたのかもしれないと思うと、胸が熱くなった。
 やさしさは自然に身に付くものではないのかもしれない。悩み苦しむつらさを味わい、その痛みを知るだけでなく、人の痛みやつらさを想像できる自分になることで、やさしさという心が生まれてくるものかもしれない。
 そして、そのやさしさを行動に表すには、相手のかじかむ手の冷たさを自分の手で引き受けるように、その人のために自分の都合を置いてでも力を出そうとする、ほんの少しの勇気も必要になる。
「やさしい心になりなされや。」
 その教祖のお言葉が、重く深く響く。そして、私の心から離れなくなった。

(加藤元一郎『ウィズ・ユゥ』vol.23より)

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