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エッセイ

それぞれの風景 「大事な話だから」

 会うと元気をくれる人。さと子さん(仮名)は、私にとってそんな人である。
 現在、93歳。農家を営むさと子さんの口癖は「親神様のおかげ」。その徹底ぶりは、口癖というより信念と言った方がいいかもしれない。さと子さんには東京で働く孫がいる。先日、その孫が祖母に言われて、無理に休暇をとって月次祭に来た。私が彼を褒(ほ)めると、さと子さんがすかさず口を挟(はさ)む。「会社を休めたのも参拝に来られたのも親神様のおかげ」。孫も慣れたもので、「そうだね」と返事をしながら、私を見て、首をすくめてニコッと笑った。
 さと子さんの信仰は父親譲(ゆず)りである。父親は田植えの繁忙期(はんぼうき)でも教会へ通うので、近所から「変わり者」とバカにされたりした。だが一向に気にせず、「米ができるのも親神様のおかげ」と笑って言う人だったという。さと子さんは、幼い頃、父と一緒に入るお風呂で「お湯も、火と水のお働き。何でも親神様のおかげ」と聞かされ、教会へも連れて行ってもらった。
 そうして信仰の香りに包まれて育ったさと子さんだが、20歳の頃、心に変化が訪れた。父親の話を素直に聞かなくなったというのである。はっきりした理由があるわけではない。自分でも自分の心がわからず、わからないままお道にも反発した。
「父は食事の時も『有難いな。神様は…』と始まる。それが嫌で、父との食事を避(さ)けたりしていました。そんな日が続いた時です。『親神様は…』と始まったので、急いで食事を済ませて席を立とうとすると、父は『大事な話だから、耳だけは通しておけ』とぼそりと言うんです。納得しなくてもいいから耳に入れておけ、と」。
 やがて結婚したが、嫁ぎ先は天理教反対の家庭だった。いつしか、さと子さんもお道から遠のき、そのまま歳月が過ぎた。そんなある日、左の乳房がまるで紫の絵の具を塗ったように変色したのである。医者に診(み)せると末期の乳ガン。手遅れで手術もできないと宣告された。
 父親に修養科を勧められ、藁(わら)にも縋(すが)る思いで、当時の汽車を乗り継ぎ、仙台から天理まで一昼夜かけおぢばへ向かった。時々襲う激痛を堪(こら)えながら修養科へ通った。3ヵ月を終える頃、乳房は元通りになり、ガンはそのまま消えた。
 ところが、喜んでくれるはずの夫が「修養科に行きたいから、病気になったと嘘をついたんだろ。ガンが消えるわけがない」とさと子さんをなじったという。
 その日からである。さと子さんは夫に隠れ、信仰を続けた。毎夜、夫が寝静まると、「教祖へご恩返ししたい」と1時間かけて教会へ歩いた。神前で額ずくと、教祖に抱きかかえられているようで、凍(こご)えた体が温かくなった。有難くて涙が流れた。おつとめひのきしんをしていると、教祖が傍(そば)にいるようで、沈んだ心も元気になれた。
 数年後、夫が脳梗塞(のうこうそく)で倒れた。その夫が修養科へ行ってご守護を頂き、以来、一緒に教会へ通うようになった。
 今、さと子さんは家族や近所の人の顔を見ては「親神様のおかげ」と話す。また神様の話には事欠かないという。それも「口から出るのは、父に『耳だけは通しておけ』と聞かされたことばかり」と言うのである。
 そして田んぼで日焼けした顔を笑い皺でくしゃくしゃにして「幼い頃から父に聞かされていなかったら、私は神様に縋らなかったと思う。親神様の話は命をつないで下さる大事な話。こんな有難い教えをみんなに聞かせたい」と言った。
 親神様の教え。それは教祖が、親が子を育てるように口で説き聞かせ、筆で記(しる)し、歩んで示し、どんな方法をとってでもと、ご苦心されてお伝え下されたもの。
 わが身を振り返る。にをいがけ先で拒(こば)まれた時、子供たちが耳を貸そうとしない時、「大事な話だから」と度重(たびかさ)ねて足を運び、伝えようとしていただろうか。
 さと子さんが、私にとって元気をくれる人なのは、いつも嬉(うれ)しそうに楽しそうに「親神様のおかげ」と話してくれるからなのかもしれない。それも、自分の足で歩いて味わった喜びと一緒に。

(加藤元一郎 『ウィズ・ユゥ』vol.22より)

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