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エッセイ

それぞれの風景 「たった1つのもの」

「今日のラッキーカラーは青。青い服を着てハッピーな1日を!」。占いブームのためか、こんな言葉がテレビで毎日流され、たいていの雑誌には占いコーナーが載る。それだけ占いが好きな人が多いということだろう。またスピリチュアルも人気だ。「あなたの前世は江戸時代のお姫様」といった話を有難がって聞く姿が公共の電波で流される。それがまた視聴率が良いという。たぶん、「良いことだけ信じる」くらいの軽いノリだから、そう目くじらを立てなくともとは思うが、何となく気になる。
 東京辺(あた)りには、行列のできる占い屋さんもあると聞く。都内でOLをする知人が「今の事務の仕事を辞めて、好きなデザイン関係の会社に転職したい」と占ってもらったら、「好きな道に進みなさいって言ってくれた。何か、背中を押してもらった気がする」と晴々とした顔で言っていたことを思い出す。では転職したのかと言えば、元の会社のままである。
 人は、毎日、常に選択を迫られているように思うことがある。朝食はパンかご飯か、通勤電車でお年寄りに席を譲ろうか寝たふりしようかといった些細なことから、結婚相手に迷ったり転職といった重大なことまで、いつも、右か左かの岐路に立たされる。そして今は情報化社会。何かに迷って答えとなる情報が欲しいと思えば、インターネットですぐ手に入る。だが、その情報は良いも悪いもごちゃ混ぜだから、その中から何を選択するかと、また迷う。
 仕事で失敗したり恋愛に迷った時、雑誌の占いやスピリチュアルなものに触れて癒されるという。だが、癒しといっても悩みの種が消えるわけではない。いわば見栄(みば)えはきれいだが、1日もすれば枯れてしまう生け花のようなものなのかもしれない。
 かつて、あるお道の講習会のねりあいでこんなことがあった。悩みながらでも、信仰を求める参加者が多い中、ある20代の男性が周囲の意見に悉(ことごと)く噛み付いていた。「占いでも何でも、その人にとって良かったら、それでたすかってんじゃないの」。みんなは、今にも怒鳴りそうな勢いで話す男性の機嫌を損ねないように「そうだね、君の言い分もわかるよ」と当たり障りなく相槌を打っていた。
 彼が「たすかるには、別に親神様じゃなくてもいいんじゃない?」と言ったその時である。ある婦人が、突然、彼に向って大声で口角泡(こうかくあわ)を飛ばして反論したのである。
「何言っているの! 親神様じゃなきゃたすからないでしょ。たすかる道は1つ。いんねんを切って、真にたすけて下さるのは親神様だけ!」。
 今まで余程堪(こら)えていたのか、婦人は赤鬼のように顔を真っ赤にして、猛然と言った。その男性は下を向いて黙り込み、辺りはシーンと静まり返った。その後の休憩中、彼は周囲に「あんなこと言われても納得できない。何熱くなってるんだ」と言って笑っていた。
 教祖は「をびや許し」をお教えくださった時に「人間思案は一切要らぬ。親神様に凭(もた)れ安心して産ませて頂くよう。」と仰しゃった。だが、をびや許しを頂いても床に臥(ふ)せってしまった人がいた。教祖は「疑いの心があったからや。」と仰せられた。その人はお言葉に凭れきれず、昔からの習慣や習俗に従っていたのである。真にたすかるということ、心底、親神様に凭れきることの大切さをお教え下さったものと拝察する。
 先ほどの男性は、その時は婦人の言葉が心に治まらなかった。だが、将来、もし重い身上や深刻な事情に悩む時が来たとする。その時、何かに縋(すが)ろうとして、ふと頭に浮かぶのは流行の占いや霊感の世界だろうか。また機嫌をとって相槌を打った人たちの顔だろうか。
「たすかる道は一つ。真にたすけて下さるのは親神様だけ!」という言葉と共に、真っ赤になった婦人の顔を思い出すのではないだろうか。そして、その婦人のもとへ、縋(すが)るようにたすけを求めに行くのではないだろうか。
 幸せに繋(つな)がる確かな道。そう、たすかる道はたった1つなのである。

(加藤元一郎 『ウィズ・ユゥ』vol.21より)

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