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エッセイ

それぞれの風景 「笑ってごらん」

 春が近づくと、思い出すことがある。
 今から八年前の春、生後四ヵ月の娘が突然の病で入院した。一ヵ月程で治ると言われたが、刺した点滴針が外れないように腕を包帯で巻かれ、弱々しく泣く姿が私達夫婦の心を締め付けた。思わず、家内は娘の小さな額を撫でながら「ごめんね、痛い思いをさせて」と泣いた。頭の中は「どうして?」と「治らなかったら」が駆け巡り、私達は、正直、かなり落ち込んだ。
 病室には家内が付き添った。私も勤務を終えると、夜、顔を出す日々が続いた。

 娘の病室は二人部屋で、隣のベッドには中学三年生の女の子がいた。彼女は血液の病気を抱えていた。それは難病だった。しかし彼女はふさぎ込む様子もなく、それどころか同じ病棟の子供達にフエルト布でマスコット人形を作ってあげたり、元気のない子には冗談を言って笑わせる。また、つらい治療の後はぐったりと横になっていても、看護師さんが熱を測ってくれたり薬を持って来ると、「ありがとう」とにこっと笑った。その明るさに、私達はいつしか励まされるようになった。
 聞くと、彼女の家は教会で、それに幼い弟と妹がいるので、付き添いのお母さんは金曜に来て日曜には帰ってしまうという。

 その夜、「どう、元気?」とお母さんがドアからそっと顔を出した。優しい目元は母親譲りである。その後驚くことがあった。消灯した途端、カーテンの向こうからすすり泣く声が聞こえてきたのである。彼女だった。
「どうして私は病気になったの? 怖いよ、ねえ、お母さん。怖くて、さみしいよ」
 泣き声は一時間ほど続いた。お母さんはしばらくなだめた後、囁(ささや)くように言った。
「お母さんも布団に入るといつも泣いちゃうのよ。さみしいのはお母さんも一緒だよ。他の病室には、あなたよりもっともっとつらい思いをしている子もいるけどがんばってるよね。だから良い方に考えてがんばろうね。誰でもつらい時はなかなかそうは思えないけど、でもね、喜べることを喜ぶのは誰にでもできる。そうじゃない時に喜ぶことができるようになろうね」
 盗み聞きしているようで気が引けたが、普段、人一倍明るい彼女ゆえに、二人の会話に心を射られた。家内も閉じた瞼(まぶた)から涙を流し、じっと聞いていた。
 彼女の泣き声が小さくなっていく。お母さんは明るい声で言った。
「自分を可哀想だと思っちゃだめよ。それ以上に有難いことがいっぱいある。病気でも、人に喜んでもらうことができるじゃない。あなたの作ったお人形をみんな喜んでくれるでしょ。いつも親神様はあったかく見ていて下さっているんだから、もっと強くなろうね、喜ぼうね。さあ、笑ってごらん。喜んだ分だけ幸せになれるんだよ」
 その一言一言は娘を諭しているようで、必死に自分に言い聞かせているようだった。
 翌日二人は、「誰にあげようかな?」と一緒にマスコット人形を作ったり、お互いにケラケラと笑いながらふざけ合っていた。そして日曜の夕方には「また週末ね」と手を振るお母さんを笑顔で見送っていた。

 母親がいない数日間、彼女はいつものように「ありがとう」と明るく答え、冗談を言ってみんなを笑わせる。だが金曜の夜、お母さんが来ると、カーテンの向こうですすり泣く声とお母さんの優しい声が聞こえる。私達がいた数週間、その繰り返しであった。
 家内が、眠る娘の顔を見ながら言った。
「私、悲しさに負けて喜びが見えなくなっていた。それをあの子とお母さんが教えてくれた。病気になった今でも、親神様はたくさんの喜べることを見せて下さっていることを忘れていたような気がする」

 娘が退院する日、彼女は小さなウサギのマスコット人形を「退院のお祝いです」と笑顔でプレゼントしてくれた。

 数年後、そのお母さんとばったりおぢばで会った。彼女は、あの時から二年後に亡くなったという。

 笑顔と涙はとなり合わせなのかもしれない。笑顔のうしろにつらさや涙があるときもある。だからこそ笑顔は尊く、人の心を温める力がある。春が近づくと、彼女の笑顔と共に思い出す。

「笑ってごらん。喜んだ分だけ幸せになれるんだよ」

(加藤元一郎 『ウィズ・ユゥ』vol.20より)

 

かとうげんいちろう
天理教少年会本部委員
天理教仙臺大教会長                                 

 

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